前々から可笑しいな、とは思って居たけれど、本当に変な奴だ。 コイツ、平気な顔して人を殺しやがった。 裏ルートから入手した小型の拳銃だが、警官が使うもの。威力は半端じゃない。 鳥でも撃とうなんて馬鹿げた事提案した俺でも、流石に此れにはビビって仕舞った。 でも此処は狩猟許可区域だから、銃声がしても誰も不思議には思わないだろう。 脳天に1発、まるで使い慣れて居るかの様に見事命中させた。 殺したのは15、6の女子学生。 茶髪でミニスカートにルーズソックス。何をしに来たのか、たった1人で。 けれども、そんな事を考えてる暇は無かった。直ぐ其の少女を何処かに隠さなければならない。 奴は、如何でも良い、と云った感じですたすた歩き出していた。 どちらを優先するか迷ったが、取り敢えずついて行った。 横目で無残な死体を見ると、鮮血がさらさらと山の斜面を滑り落ち始めている。 少し早い歩調の後ろを必死で追かける。 「・・・っおい!」 息切れしながら発した声に、ピタリと止まる2つの足音と影。 「っぁ・・・ハァ・・・・・大野。あんな事して、如何するんだよ!」 くるりと振り返った其の顔に、俺は恐怖を覚えた。笑っていた。 「何で?如何するって、何が?」 「だか・・・ら。人・・・殺しちまったんだろ・・・・・始末とか・・しなきゃ」 未だ整って居ない呼吸と新たに高められた鼓動が、上手く言葉を繋げない。 大野は表情を少しも変えず、此方に近付いてくる。 「晴哉は怖がりだなぁ。あんなの、誰が撃ったかなんて分かりっこ無いさ」 つ、と首筋に流れた冷たい汗と、大野の細く形の良い指が這う。未だ、顔は酷い。 晴哉の顔がみるみるうちに蒼ざめて、自分の力では立てずに大野の肩に縋る様にしがみ付いた。 「ぁ・・ぅぁ・・・・・・ぅぐ・・」 晴哉の形の良い口から、どろりと胃液が逆流した。つんと鼻を突く異臭が纏わりつくようにして流れて行く。 「ぁ・・・はっ・・・・」 晴哉は苦しそうに呼吸を荒らげ、其れを冷ややかに見つめる大野。口は笑いの形だが、目は怖ろしい程に冷め切っている。 大野は晴哉と目線を同じにして、子供を諭す母親のような穏やかな口調で話した。 「晴哉は心配し過ぎだよ。ほら、こんなに汚して・・・」 吐瀉物が付いた頬をぺろりと、蛇の様に赤い舌で拭う。妙な感触で晴哉は我に帰り、思い切り突き飛ばした。 抵抗なく大野は1メートルほど吹き飛び、反動で晴哉も少し後ろに転ぶ。 呆気無く地面に転がった大野は、暫くしてからむくりと起き上がり、底なしの瞳で晴哉を見た。 恐怖も憎しみも愛情も、何の感情もこもっていない2つのガラス玉に、憎悪と恐怖に慄いている晴哉が映り込む。 **************************************************** 其れから如何帰ったのかは憶えていない。 何時の間にか自分の部屋で、自分のベッドに寝かされていた。白い天井が何時もの様に狭苦しく視界を遮る。 気だるい体を少しだけ揺すり首を右に曲げると、大野が雑誌を眺めている姿が目に入った。 不思議と恐怖の気持ちは無くなっていた。 布の擦れる音で大野が気付いた。にこりと微笑んで、傍にあった小さなテーブルの上のカップを指差す。 ゆっくりと起き上がり、滑る様にカップを手に取る。未だほんのりと温かいコーヒー。 喉に通すと、苦い様な酸っぱい様な感じがして酷く不味い。そう云えば、大野は家事が下手だった。 不満を感じ取ったのか大野は、ごめんと苦笑し、インスタントコーヒーを入れに台所に向かった。 ぼんやりとする頭で少し考えを廻らせる。 大野が人を撃って、暫く歩いて、吐いて、其れから・・・・・其れから・・・? 頭が痛い。もう、止めた。 足を前に投げやって、大野が来るのを待つ。ぎこちなく動く大きな背中がちらちらと見える。 人の死の余りの呆気無さに、晴哉は違和感を覚える。けれどもう、如何でも良かった。 後は只、警察に見つからずに済むか如何か。 其れでも大野は、普通に買い物にも行くし学校にも登校した。 今迄と同じ毎日を送る彼の様には出来ない事が、酷く苛立たしい。 幸い、其の事は未だ事件にはなっていないらしく、ニュースにも新聞にも載っていなかった。 時々あの少女の死に顔が瞼に張り付いて、吐いてしまう事もあった。 けれども晴哉は、今迄と同じ日常に戻ろうと必死になった。 **************************************************** 霧雨で少し肌寒い或る日。晴哉は大分調子を取り戻し、夕食の材料を買いに出かけた。 悲劇は、其の間。静かに、静かに起こった。何かから隠れるように、ひっそりと。 「ただいまー」 ぼろぼろになったコンバースを脱いでリビングに入ると、少し荒れた部屋とテーブルの上に1枚の紙切れが置いてあっ た。 「な・・・何此れ・・・・」 ――― 晴哉へ 少しばかり、警察のお世話になる事になった。 2週間したら、面会に来て。其の時に分かるよ。 来る時が来た。僕は行く ね。――― 初めて見る大野の文字は丁寧で国語の手本の様な字だった。 来る時が・・・来た?意味が解らない。 晴哉は混乱する頭で懸命に考える。何で、大野が、誰が・・・? 多分あの事件の事は自分達以外に知ってるやつは居ない。 だとすると、大野が自分で云ったのだろうか。否、そんな筈は無い。 じゃぁ・・・何故・・・・・。 2週間したら、面会に来い。そう記してあるからには、大野にも何か考えがあるのだろう。 取り敢えず、気を紛らわす為にテレビをつける。 目の前で人が動くのが見えるが、何なのか、もう判断すら晴哉は出来なくなっていた。 只々茫然と座っている事しか、今の晴哉には出来なかった。 **************************************************** 2週間後。晴哉は微妙な心境と面持ちで大野の元に向かった。 今日、全ての謎が解ける・・・大野自身の口から。 そう考えると、背筋が凍る様な、あの日大野の底なしの瞳を見て仕舞った時の様な感覚に襲われ、途中2回も吐いて仕舞った。 やっとの事で大野が収容されている建物に着き、受付で暫く待つ様に云われた。 晴哉が想像していたものよりも清潔で、簡素な感じがする。 第一そんな簡単に一般人に会わせても良いのか、と少し疑問と不快感が浮かんだが、無表情の案内人に名前を呼ばれ薄暗い面会室に足を踏み入れた。 ドラマで見る様な狭苦しい部屋に透明の仕切りが付いていて、両側に小さな椅子が添えられていた。 座って直ぐに、大野が監視役の役人に連れられて仕切りの向こう側に姿を現した。 以前と同じ様に少しも感情の込もらない瞳で真っ直ぐに晴哉を見つめる。 晴哉の額にじんわりと冷たい汗が滲み出て来る。鼓動が、早い。 ごくりと唾を飲み込んで、大野が何か云い出すのを待った。 「・・・あの日、君をあの場所に誘ったのは故意だった」 少し俯きながら、淡々と話し出す。晴哉は黙って、其れを聞いていた。 「本当は、彼女とは知り合いだった。昔、少しだけ交流があって・・・最近また会うようになった。」 「彼女は・・・誰?」 「うん。彼女は百合って云うんだけど、地元の友達の・・・元彼かな、」 「元・・・彼・・?」 「そう。百合は素行が悪くって、煙草、酒、かつあげ、万引き・・・まぁ、何でもやってたのかな。 で、とうとう薬に手を出したんだ。僕も百合の彼氏も止めたんだけど、百合は止められなかった。そんなに強い薬では無かったのが良かった。毎日打たなくちゃ持たないけど、今までと殆ど変わりなかったよ。 でも或る日、彼氏に薬を打つように誘ったんだ。勿論、彼氏は断ったさ。けれども百合は、無理やり打たせようとした。 薬を打った百合は僕らと同じくらい力が増していた。危なかったけど、何とか彼氏は逃げた。 もうあいつとなんか係わりたくねぇって云って、ケータイの番号だけ残して何処かに行っちゃったんだ。 暫くしてから、僕と百合は偶然にも街で遭った。後遺症は残っていたけれど、もう薬は止めたって云っていた。そうだね、丁度4ヶ月くらい前かな」 ふぅ、と小さく溜息を吐いて、暫く沈黙が続く。晴哉は其の現実離れした真実にじっと耳を傾けていた。 「彼氏の連絡先は知ってたし、一応連絡したんだ。彼女も会いたがってたし。そしたら、何て云ったと思う?」 くつくつと皮肉っぽく笑って、上目遣いで晴哉を見遣る。 「殺してくれ、ってさ」 がくんと、言い様の無い衝撃が身体を貫いた。全身の毛穴が開いた様に汗が噴き出て来る。 「だから・・・殺したのか?」 「だから、と云う訳でもないんだけどね。まぁ、其れが引き鉄さ」 コイツは、何処まで可笑しいのだろう。何かがずれている。 「電話で彼女を誘い出して、あの時・・・」 「もういい。やめてくれ」 耐え切れず、俺は大野の話を遮った。聴きたかった話だった筈なのに、吐き気がする。もう、聴きたくない。 真実だが受け入れ難いものだった。受け止めろと云う方が難しいかも知れない。 晴哉は衝撃に俯き、其の様をじっと冷えた目で大野は見る。 「・・・もう帰った方が良いね。夕食の準備が未だだろう?ほら、もう7時になる・・・」 そう云って晴哉の背中の壁を見上げる。力無く首を捻ると、シンプルな時計が6時47分を指していた。 晴哉は顔を上げ、何かを云い掛けてやめた。大野は笑っている。 「大丈夫、晴哉は関係ないって云って置いたから」 「そ・・・そんな問題じゃないだろう・・・」 ふいと視線を落とし、下唇をきつく噛む。そうではない、そうじゃないんだ・・・。 「もう・・・戻れない・・のか・・・?」 「・・・多分、ね」 「そう・・・」 「晴哉は優しいね。優し過ぎるくらいだ」 ぇ、と顔を上げて斜に見上げる。大野は穏やかに微笑んでいた。 「さぁ、帰って。此処は君の居るべき場所じゃない」 「あ、あぁ・・・」 重い腰を上げて、小さな鞄を持ち上げる。奥の方で監視官がドアを開けて待っている。 静かに立ち上がって、振り向きながら大野は呟いた。酷く小さな声で。 「・・・ありがとう」 監視官の方へ向き直った大野の目は酷く、絶対零度よりも冷え切って怖ろしく深かった。